さて、早いもので今年も師走に入った。このところ音楽ネタから遠のいていたので、懐かしく印象的だった話をひとつ紹介しよう。
今でもよく「なんでパーカッションというパートを選んだのですか?」という質問を受ける。高校時代、ブラスバンド部で僕はティンパニを叩いていたのだが、それもドラムセットを叩けるようになりたくてブラバンへ入って打楽器の基礎を習おうと思ったのが事の始めで、パーカッションパートは部員も数少なく成り行きでティンパニを担当していた。しかし部室には先輩のドラムセットがセットしてあり、ここがドラムを練習できる唯一の場所でもあった。

アマチュアロックコンサートが盛んに行われていた湘南地方で、まずは学校の仲間でバンドをやろうとドラム叩いてロックをやっていたのだが、70年代のアメリカンロックや、ソウルミュージック、徐々に流行り出したフュージョンミュージックにパーカッションの音が盛んに取り入れられ、特にコンガの音が8、16ビートのリズムに独特のグルーヴを加えているのに心が惹き付けられた。当時風に言えば「なにか独特なノリがある」と聞こえ、自分はこのグルーヴや音色にやたら興奮した。ブラバンではティンパニは花形パートで、クラシックとはいえ曲を高揚させるその役割にゾクゾクする感覚も経験できたが、それはドラムでもコンガでも同様に打楽器特有のこの興奮感が好きで音楽にノメリ込んでいったという訳である。
高校中盤にいよいよ国産のコンガを親に買ってもらい、バンド仲間と一緒に演奏し始めた。もちろん回りにコンガを叩くヤツなどいないし、当時メソッド本やビデオさえ無い時代の事、とにかくレコードの音を耳でコピーして、自己流で叩き方を摸索するしかない。今思えばメチャクチャな奏法で演奏していた事になる。
ドラムというパートはバンドの看板役になりがちだが、パーカッションという立場はいろんなバンドにスルリと入り込め、多くの友達と知り合えるという感覚も当時の自分は好きだったのかもしれない。実際当時コンガを叩くヤツなどいなかったし、珍しがられた事もあったのか、いろんなバンドから声をかけられ演奏したが、メンバーになるというよりもセッションしているという感じだった。
大学に入るころから益々音楽にノメリ込んでいくわけだが、演奏するフィールドを徐々に広げようと、アルバイトをして本格的な楽器、自動車免許、そして車を手に入れた。当時日本で手に入る外国産のコンガは2社しかなく、その一つLP社(Latin Percussion) のファイバーのコンガ(写真上)を浅草にあるコマキ楽器で手に入れた。世界の一流ミュージシャンが使うものと同じ楽器を手に入れた訳である。が、しかしこの楽器がなかなかいい音で鳴ってくれない。というのも正しい奏法で叩かないと、特にファイバー製のコンガは汚い倍音がたくさん鳴ってしまい、いい音がしない。せっかくいい楽器を買ったのに、これは勉強し直さないとちゃんと鳴らないゾとかなり焦った覚えがある。

そのタイミングで、この楽器にLP社の小さなカタログが付いて来た。アメリカ国内向けの英語のみのカタログだが、ここに「Understanding LATIN RHYTHMS」という教則レコードが載っていて、入門編2枚(写真右)とソロ練習編3枚のLPレコードである。たしか全部で$80くらいだったと思う。なんとかこれを手に入れたかったが、当時街の都市銀行でも米ドルの現金両替などできなかったので、丸の内の貿易会社に勤めていた姉に頼んで現金の$100を調達してもらった。(確か$1=¥280くらい?)ちょっと無謀だが、この現金$100をそのまま封筒へ入れ、つたない英語でメッセージを添えてダメもとでLP社へこの教則レコードの注文の手紙を送ったのである。
待てど暮らせど音沙汰は無く、3ヶ月経った頃だろうか?忘れかけたところに明らかに内容物がレコードとわかる外国からの荷物が我が家に届いたのである(船便だった)。中には丁寧な肉筆の書面があり、「遠く地球の裏側からのオーダーありがとう!どうぞ、これを聞いて上手に楽器を叩けるようになって下さい」と涙が出そうなメッセージが記されていたのである。後でわかるのだが、このメーッセージはLP社社長の倅さんが書いたものだった。

この教則レコードはいくつかの基本的なラテンリズムのアンサンブルと、パートごとに音と手順を説明した冊子もついていて、一流中の一流ミュージシャンによるアンサンブルのサウンドは今聞いても心躍る極上のグルーヴを奏でている。これこそが僕のバイブルである。この後、毎日この教則レコードを手本に練習を続けたのは言うまでもないが、2年後このメンバーを含むTito Puente率いるLatin Jazz Ensembleというコンボが来日し、彼らの演奏を見た僕は一発で完全にノックアウトされ、すでにプロとして音楽の仕事をしていたものの、N.Y.へひとり勉強へと旅立つ決心をしたのだった。30年以上前の事だが、何故かついこないだの事の様に思える。
と、僕が音楽に関わる上でのちょっとしたエピソードを紹介したが、自分が今まで音楽を生業としてこれたという時間の中で、いろいろなキッカケとなる出来事があるが、これを少しづつ連載してみようかな、などと考えている。